人生山あり 谷あり。そんな言葉ががっつり身に沁みて早1年8ヶ月。
娘が不登校になったのは中1の1学期の初め。体調不良を訴えるようになって早退が増えて朝起きられず遅刻が増えてそのうち登校しなくなりました。
当時は急な出来事に頭パニック!え?何?何?何かあった?いじめ??と原因を探して必死でした。娘に聞いても「何もない」「友だちともうまくやってる」と言うばかりで学校に行けない理由はわからないまま。
早く学校に行けるようにしなくちゃ。原因があるなら解決しなくちゃ。とにかく毎日、どうしよう、何で?で頭がいっぱいでしたね。
体調不良なら病院に行って治療すれば行けるようになるんじゃないかと病院に行ったり。でも何も変わらず。
そのうちうちの子は起立性調節障害では?と思って受診したところ、大した検査もなく問診だけで「この年頃には多いんだよ」と血圧を調整する薬を出されました。原因もわかったしこれで学校に行けるとホッとしてたけど、不登校はそんなに簡単じゃないんですよね。
そんな毎日で本当に苦しくて、通勤の車の中で泣けてきたり、なんでうちの子ばっかりと負の感情ばかりが湧いてきて、学校に行かない娘にイライラをぶつけてしまったこともありました。
そんな生活が半年近く続いていたとき、フッと「ま、いっか」と吹っ切れる瞬間があったんです。諦めたわけじゃなく吹っ切れたがぴったりくる感じ。
今学校に行かなくてもなんとかなる。これは娘の人生で学校に行くも行かないも娘の自由。私が学校に行ってほしいのは私が楽になりたいからでした。みんなと同じように学校に行ってくれれば安心する。私の負担も減る。娘のためと言いつつ、結局は自分のためだったことに気づいたから。
娘も学校にいけないことに後ろめたさや自己嫌悪を感じていたんでしょう。当時はかなり病んでいて、なにかやっていても自分はだめだとシクシク泣き出したり。とにかくマイナス思考で一緒に暮らしていてうんざりするほど。
心療内科の受診も考えたけど、住む地域で子供を見てもらえる病院は予約をしてから3ヶ月から半年待ちの状態。あの頃は本当に家の雰囲気最悪だったなと思います。
そんな中、娘に学校に行きたくないなら行かなくていいと伝えました。それから娘は少しずつ明るさを取り戻して、時々必要なときは学校にも行くようになっていきました。ただ今も毎日は行けないし、行事があるときだけ行く感じです。
吹っ切れた私も気持ちが楽になって、今は娘に合う高校を探したり、家での勉強にはどんな手段があるのかを調べています。学校に行かなくても勉強はしておいたほうがいいと考えています。この先やりたいことができたとき、勉強していれば選べる道は少し増えるはずです。
山あり 谷ありだから楽しい、でも谷にいるときは本当に辛いし苦しいです。ただ谷がずっと続くことはないと思っています。うちは今谷から山に登る準備を始めたところてす。
Comments